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生死は生命の変化相 [人生]

<生命とは?>
私が宇宙に興味を持ちだした少年期は考えなかったことですが、青年期になって

「宇宙で生命のあるのは地球だけ?それとも、地球のように生命にあふれた惑星を持つ

恒星は、宇宙にありふれているの?」という疑問に、ここ数年の火星探査や木星の衛星

タイタンの探査などから、どうやら人類は宇宙の孤児ではないらしいという結論が

今、科学者の間の共通した見解になっているようです。

ある哲学者が生命の連続性を以下のように表現されています。
「(人は)喜んだとしても、その喜びは時間が経つと消えて無くなる・・・・どこかへ

行ってしまったわけではないが、心のどこかへとけ込んで、どこを捜しても無いのである、

しかるに何時間か何日かの後、また同じ喜びが起こるのである。

またあることによって悲しんだとする、何時間か何日か過ぎてそのことを思い出して、また

悲しみが生ずることがある。人は良く悲しみを新たにしたと言うけれど、前の悲しみと、

後の悲しみと立派な連続があってその中間は、どこにもないのである。同じような現象が

我々の日常の眠りの場合にある。眠っている間は、心はどこにもない。しかるに目を覚ま

すやいなや心は活動する」。眠った場合には心が無くて、起きている場合には心がある。

有るのが本当か、無いのが本当か、有ると言えば無いし、無いとすれば現れてくる。」と述

べられています。

<生命の連続性とは・・・>・

よく、赤ん坊の頃の写真を見せられて、これが同一人物かと驚くことがあります。こんなに

愛らしい顔をしていても、大人になると随分ひねくれてくる物だと・・・・・

し親しい友人でも、小学校の頃の写真を出されて、どこにいるのかを捜すとなると、困惑す

ることもあります。性格など、小さい頃の面影を残している部分は有ったとしても、やはり、

違ってくる。特に、制止に及ぶ経験をくぐり抜けると、人の性分とか性質までが、同一人物

とは思えない程一変してしまう場合も少なくないでしょう。赤ん坊の私と現在の私の間にだ

って、記憶の連続性が有るとは言えない。その間の連続性と同一性を保証するものは何

なのか。霊魂不滅の説というと現在の我々は、これまた真面目に取り上げることを恥とす

るかも知れない。しかし赤ん坊と現在の自分とをつなぐ何者かを信ずることは、昔の人が

『たましい』の不滅を信じた事情と、どれだけの違いがあるのか疑問である。

人間は誕生以前の記憶を持ち合わせていないから、現代の人々は、私たちの生命は母

の胎内で初めて生じた物である考えがちでしょう。しかし、(京都大学名誉教授の田中美知

太郎氏)田中氏の論法を借りると、それは赤ん坊の頃の自分と現在の自分の同一性を否

定するにも等しい。少なくとも、小さい頃の自分と今の自分が、同じ生命体であると信ずる

ならば、事故の生命が、生と死を繰り返しつつ連続していくのだという説は軽々しく否定した

り、また一笑する事は出来ないわけです。

冬に水が凍り、氷になりそれが春の訪れで溶けて水となり海に溶けて消えて無くなり、それ

がまた太陽の日射に暖められ蒸発し気体となって上空に昇り冷やされて雲となり飴になっ

て地上に再び戻って来る。固体の氷も、液体の水も、気体の水蒸気も化学の分子式は

全てH2Oで有ることを教育を受けた我々は知っています。それは水という物の温度によっ

て生じる、変化層であって本質は全H2Oてす。

 人間も「起きているとき」と「眠っているとき」と「死んで宇宙にとけ込んだ生命の状態」は、

実はある統一性を持った生命という物の変化相なのだと考えることは、全く矛盾しないと言

うことになります。これを、掘り下げたのが「生命は永遠である」という仏法の考え方なので

す。

一昔前は一笑に付された生命永遠説を現代科学は証明しようとしています。

この続きは「宇宙は生命を作りたがる傾向を持っている」という事柄についてお話しします。
タグ:人生 生命
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宇宙その神秘に誘われる出来事 [人生]

1969年7月16日ケネディ-宇宙センターからアポロ11号が打ち上げられ人類初の月面着陸を目指しました。

当時(昭和44年)高校2年だった私は、その瞬間のカラー映像がどうしても見たかったので、同級生の女の子でY.Uさんという子の家に無理を言って泊めてもらい(実は、当時私はその女の子に好意を持っていたのですが、相手は全く気づいて居ませんでした)、この歴史的な実況中継を見せてもらうことになりました。
 自分でも厚かましくも勇気ある行動だったと思っていますが、それほどこの歴史的な
瞬間、宇宙ショーがどうしても見たかったのです。

7月21日02:56UTC(日本時間午前11:56)アームストロング宇宙飛行士が月面に歴史的な第一歩を記録し次の有名な言葉を残しました・「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」。
当時は16歳という多感な青春時代のまっただ中に、こういう歴史的な出来事に巡り合わせたことは、私が生まれ持った幸運だったと思います。

1970年から1975年にかけて水星・金星・火星と惑星探査が行われていたのですが
 丁度私は、大学生活に没頭、自由を満喫していてそういう惑星探査が行われていたことを認識していませんでした。
そして大学を卒業し、第1次オイルショックで就職もままならず大阪に戻って塾の先生や
父親の援助で画材屋(絵の道具などを売る店)などをやっていた私に、もう一度宇宙に目を向けさせる事が起こりました、1977年8月に打ち上げられたボイジャー2号が
1986年1月地球から28億Kmも離れた海王星に人類として初めての再接近するというのです。当時、まだビデオが今ほど普及しておらず近所の仲良しの電気屋さんにお願いして、その「ボイジャー2号海王星大接近」のNHKの番組を録画していただき、それを
見たとき、人類って凄いな、こんな遙か遠くまで探査機を到達させ、今まで解らなかった
天王星という遠い惑星のことが色々沢山、解って凄く興奮しました。

1989年8月には同じボイジャー2号が、今度はもっと遠い天王星に大接近し、天王星のことが沢山解って、これまた興奮しました。

 不思議なことに、木星より外の外惑星は(木星・土星・海王星・天王星)全てガス惑星で、その4つの惑星全てが土星のように輪を持っていることが解って、不思議な思いに
なったことを覚えています。

 長々と書いてきてしまいましたが、子供の頃私の興味を捉えたのは夜空に輝く星(星団や星雲)でしたが、アポロ計画以降、私の興味はどんどん太陽系の惑星に引き寄せられたように思います。

 結局、私の宇宙への関心は「宇宙で生命の存在は地球だけなのだろうか?」という、
疑問の答えを求めて、この58年余りの人生の中で考え続けていたことなのだなと思います。次回はそのことについてもう少し、私の思いを語らせてください。

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